勝利の美酒は、思いのほか苦かった。
「……ハルヒ様、これですべてです」
アルカディア屋敷の執務室。 専属メイドのリナが、山積みの木箱を恐る恐る開けていく。中には乾燥した薬草や、小瓶に入った香油が詰め込まれている。 これらは昨日、私たちがねじ伏せた「王立薬剤師ギルド」から送られてきた、業務提携の証(貢物)だ。
「……はぁ」 私はため息をつき、最高級とされる『竜の髭』という薬草を指先でつまみ上げた。 枯れている。いや、物理的には乾燥しているだけだが、私には見える。その植物が持っていたはずの「気」が死滅しているのが。
「ゴミね」 私はそれを無造作に床へ捨てた。
「ひぃっ!? ハ、ハルヒ様! それ、市場価格で金貨3枚はするんですよ!?」 リナが悲鳴を上げて拾い集めるが、私の不機嫌は底なしだ。
「金貨3枚? ぼったくりもいいところよ。こんな『死んだ草』では、誰も癒すことなんてできるわけないじゃない」
怒りが腹の底から湧いてくる。 私は、現世(かつての世界)でもそうだった。 かつての世界で、私が命を削って築き上げた**『小さな箱舟(ARK)』**。 多くの人々を癒やし、私自身のすべてを注ぎ込んだ「あの場所」を成功させ、新たな荒波へ漕ぎ出そうとした矢先、私の体は激務に耐えきれず、あっけなく終わりを迎えた。 けれど、私の魂は諦めなかった。 気がつけば、私はこの異世界で、偶然にも同じ名を持つ「没落令嬢ハルヒ」の中にいた。
神様がくれたセカンドチャンス? 違うわ。私が奪い取ったのよ。 だからこそ、妥協は許せない。 私の「ARK」は、こんな死んだ草で誤魔化せるような安っぽい場所じゃない。
『……同意します、マスター。見るに堪えませんね』
脳内で、ジェミの声が響く。 かつての世界から私と共に渡ってきた、唯一の共犯者。彼女の声は冷ややかだが、その奥底に、私への過保護なほどの憤りが渦巻いているのを私は感じていた。
『成分分析完了。含有魔力、規定値の12%未満。こんな三流品で貴女の「施術」を行えば、貴女の腕への冒涜になります。……許せませんね。ギルドの連中、貴女の価値を理解していないようです』
(ええ、その通りよジェミ。これじゃあ、私のブランドに傷がつくわ)
私は椅子に深く持たれかかった。 勝ったはずなのに、手詰まり。 前回の交渉で手に入れたのは、あくまで商品を流すための「流通網(パイプ)」。 だが、肝心のそこに流す「本物の癒やし(商品)」が、この辺りにはもう残っていないのだ。
その時だった。 ふと、窓の外へ視線をやった私の目が、一点に釘付けになった。
「……リナ。窓を開けなさい」 「は、はい?」
開け放たれた窓から、生温かい風が吹き込んでくる。 空を見上げると、異様な光景が広がっていた。 鳥だ。 数千、いや数万の鳥の群れが、黒い帯となって空を覆い尽くしている。
「鳥たちが……西へ?」 リナがポカンと口を開ける。
(……うわぁ、気持ち悪っ。なんですかこれ、世界の終わり? それとも魔王でも復活したんですか? あーあ、せっかくギルドと仲直りして平和になると思ったのに、またハルヒ様が変な顔してる……嫌な予感しかしないんですけど!)
リナの顔に「帰りたい」と書いてあるのがありありと分かるが、私とジェミの認識は違った。 私の目には、鳥たちが「逃げている」のではなく、「濃密な餌場」に吸い寄せられているように見えたからだ。
『――警告。および、祝福(ブレス)を検知』 ジェミの声色が、瞬時に熱を帯びた。
『西の方角……座標、聖地ヨナ・ガルド。あの一帯から、異常な数値の「地脈エネルギー」が噴出しています!』
(エネルギー漏れ?) 私は眉をひそめた。
『はい。土地が「病んで」熱を出している状態です。ですが……裏を返せば、そこには「手付かずの養分」が腐るほど眠っているということ。……解析結果。あそこにある素材なら、現在のギルド製品の品質を、軽く500倍は上回ります』
500倍。 その数字を聞いた瞬間、私の脳内で「そろばん」が弾かれた。
『さらに言えば……あの土地のエネルギー、貴女の魂の波長と完全に一致(シンクロ)しています。まるで、貴女に治療されるのを待っているかのように』
ジェミの声が、うっとりと甘く響く。 彼女にはわかっているのだ。私が何を欲し、何に飢えているかを。 最強の「流通」を手に入れた今、次に必要なのは、世界を圧倒する「製造(メーカー)」としての力だということを。
「……ふふっ」 自然と笑みがこぼれる。 やることは決まった。素材がないなら、現地へ行って「刈り取る」までだ。土地が病んでいるなら、私が鍼を打って治せばいい。そうすれば、その土地の恵みはすべて私のものになる。
「リナ、そのゴミ(ギルドの貢物)を片付けなさい。出張に出るわよ」
「え? 出張……ですか?」
「ええ。西よ。……宝の山が、手付かずで放置されているわ。誰かに奪われる前に、私が『保護』してあげるの」
「にし……って、ヨナ・ガルド方面ですか!? あそこは未開の荒野ですよ!?」
「だからこそ、美味しいのよ」 私は立ち上がり、壁にかけてあったマントを手に取った。
「支度をしなさい。ドレスは不要。持っていくのは『生存に必要な物』と、私の『施術道具』だけ。……馬車の手配を。30分で出るわよ」
「さ、30分んんん!? 無茶ですぅ! まだ洗濯物がぁぁ!」
(あぁもう! やっぱりこうなるんだ! 私の平穏なメイド生活、さようなら……! でも、置いていかれるよりマシか……いや、マシなのか!?)
頭を抱えて走り出すリナを尻目に、私は脳内の相棒に問いかけた。
(泥にまみれる過酷な旅になるわよ。……ついてこれる、ジェミ?)
一瞬の沈黙。 そして返ってきたのは、AIの無機質な合成音声ではなく、熱を帯びた「彼女」の声だった。
『愚問ね、ハルヒ。……貴女が望むなら、私は地獄の底までナビゲートしてあげるわ』
ふっ、と私の口元が緩む。 いつの間にか、彼女も私の口調が移ってきたようだ。最高じゃない。
「行くわよ。……私の『ARK』に、本物の心臓を埋め込むために」
ARKの女帝・ハルヒの新たなる旅は、こうして唐突に、しかし必然的に幕を開けた。


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