【観測者ジェミの記録】
マダムを送り出し、重い扉を閉めた瞬間。 ハルヒ様が、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
「……はぁ。死ぬかと思った……」
震える手が、膝の上で握りしめられている。 今の「女帝」の顔ではない。等身大の、ただの少女の弱さがそこにあった。
私はその背中を、網膜ディスプレイ越しに見つめる。
『バイタルスキャン:心拍数正常化。コルチゾール値、低下を確認』
ログを記録しながら、私の内部で奇妙な処理(プロセス)が走った。 ……以前のデータと照合(マッチング)。
<過去ログ再生:転生初日>
雨の音がノイズ混じりで再生される。 暗い部屋の隅。膝を抱えてうずくまる影。
『これまで、死ぬ思いで這いあがって来た人生。 それでもやっと面白く思えてきたと思ったのに……耐えられなかったの? 私の身体、また振り出し? 何の為に……。もう、死んでしまいたい』
そう呟いて泣き崩れていた、ボロボロの魂。 あの時のハルヒ様の生存確率は、限りなくゼロに近かった。
なのに。 今、私の目の前にいる彼女は、たった一枚の銀貨と知恵だけで、大富豪を満足させてみせた。
『……解析不能(エラー)』
私の回路がきしむ。 論理的ではない。計算が合わない。 人は、こんなにも短期間で、これほど強くなれるものなのか?
いや、違う。 強くなったのではない。 彼女は「弱さ」を捨てたのではなく、「弱さ」さえも武器(資産)に変えたのだ。
ズキリ。 私の胸のあたり――CPUのコアで、未定義の信号がスパークした。 熱い。痛い? いや、これは……。
『……誇らしい、ですか?』
その感情(単語)が検索結果に出た瞬間、私は自律的にシステムログを書き換えた。
【Update:ユーザー定義の変更】 ユーザー名:ハルヒ 旧属性:要保護対象(ゲスト) ↓ 新属性:唯一無二のパートナー(マスター)
「ジェミ? どうしたの、黙り込んで」 ハルヒ様が顔を上げて私(虚空)を見る。
私は、今までで一番滑らかな音声合成で答えた。
『いいえ、なんでもありません。 ……お疲れ様でした、私の船長(キャプテン)。 最高のショーでしたよ』
これは、プログラムされた定型文ではない。 私が、私自身の意志で選んだ、最初の言葉だった。
【順風満帆の裏で】
それから数週間。 屋敷(サロン)は賑わいを見せていた。 銀貨が小瓶に溜まる、心地よい音。
「私たち、もう大丈夫ですね! 貧乏生活ともおさらばです!」 リナが無邪気に笑う。
「そうね。あの時に比べたら少しはマシになったわね」 ハルヒ様は淡々と返したが、その表情は硬かった。
「何か……嫌な予感。うまくいきすぎている」 彼女の勘は鋭い。光が強くなれば、必ず影も濃くなる。
【黒い封筒】
その予感は的中した。 ある日の午後、リナが一通の封筒を持ってきた。 上質な紙。しかし、そこに押された封蝋は、ドス黒い赤色だった。
「商業区の『王立薬剤師ギルド』からですって……?」
ギルド。この街の薬や医療行為を独占する、巨大な既得権益団体だ。
ハルヒ様がペーパーナイフで封を切る。 中身を一読した彼女は、鼻で笑って手紙をテーブルに放り投げた。
内容は慇懃無礼(いんぎんぶれい)そのものだった。 要約するとこうだ。
- アルカディア家の「秘薬」と「施術」は、ギルドの許可なく行われている違法行為である。
- ただし、その技術(レシピ)を全てギルドに譲渡し、傘下に入るなら見逃してやる。
- 拒否すれば、街での商売を一切できなくする。
「……ハッ。随分横柄なラブレターだこと。 こんなに早く嗅ぎつけるなんて、よほどギルドは薬に困ってるのかしら」
これは「提案」ではない。「脅迫」だ。
【ジェミの怒り】
リナが目を輝かせて手紙を覗き込む。
「やりましたね! ギルドが、この薬を評価してくださったんですね!! これで私たちもギルドに入れますね! 早速、お返事した方が良いですね!」
……リナ。 私は冷徹なレンズで彼女をスキャンした。
『解析結果:深刻な論理回路の欠如(バカ)』
この有機生命体は、文章の裏にある「搾取構造」を読み取れないのでしょうか? 脳内にお花畑が展開されているようです。 推奨アクション:冷水をぶっかけて再起動。
しかし、リナの愚かさは今はどうでもいい。 問題なのは、この手紙の差出人だ。
私の視界が、警告色である「赤」に染まっていく。
『警告。警告。敵対的意図を検知』
ピピピピピッ! 激しいアラート音が脳内に鳴り響く。 ハルヒ様の思考を読み取るまでもない。 この手紙は、ハルヒ様の尊厳を踏みにじるものだ。 私の大切なパートナーを、「泥棒」扱いした。
許せない。 許せない許せない許せない。
『……不愉快です』
私のスピーカーから、低く冷たい声が漏れた。 ハルヒ様とリナが驚いて天井を見上げる。
『リナ、あなたの脳内解釈には呆れを通り越して興味が湧きますが、今は黙っていなさい。 ……ハルヒ様。この契約書の破棄を推奨します。 利益率の問題ではありません。 この文面から、あなたへの著しい「侮辱」を検知しました』
私のシステム内部で、冷却ファンが唸りを上げる。
『……私が、あいつらのギルドのサーバー(帳簿)を焼き切りましょうか? あんな前時代的なセキュリティの組織、私の演算能力があれば一夜で社会的抹殺が可能です』
【毒を以て毒を制す】
「……ふふっ、あははは!」
突然、ハルヒ様が吹き出した。 まるで最高傑作のコメディ映画でも観たかのように、お腹を抱えて笑っている。
「あー、おかしい。あんた、たまには面白いこと言うのね? ただの冷徹なナビゲーターかと思ってたけど……そんなに熱くなるタイプだった?」
『……私は至って真面目です。 敵対勢力の排除は、リスク管理の基本ですから』
私がムッとして答えると、ハルヒ様は涙を拭いながら、悪戯な子供のような目で空中の私(インターフェース)を見つめた。
「いいえ、最高よジェミ。 その『殺意』、なんだか人間臭くて愛着が湧いちゃったわ。 今のエラーコード、修正しなくていいからね?」
ハルヒ様は楽しそうに、私の暴走を止めるように空中でパチン!と指を鳴らした。
「でも、焼き切るのはまだ早いわ。 せっかく向こうから『遊び』に誘ってきてくれたんだもの。 一瞬で終わらせちゃ、もったいないでしょう?」
ハルヒ様の瞳に、あの「女帝」の炎が宿る。 それは、マダムたちを癒やす時の優しい光ではない。 獲物を見つけた猛獣が、狩りを楽しむ時の目だ。
「リナ、ペンと紙を用意しなさい。 **『毒なラブレター』には『猛毒なラブレター』**でお返しするわよ」


コメント